2008年02月20日
信長の野望の痕跡
「若江城」かつて、室町時代には河内の国を治めていた城でした。
時代の後半。そうあの戦国時代に現れた時代の変革者とも魔王とも言われる織田信長。
後に天才とまで言われたその人は、最大の敵「本願寺一向宗門徒」との戦いに明け暮れていました。
この若江城は、その一向宗門徒の総本山 石山本願寺(今の大阪城)を攻める拠点として
使われていました。
まぁこの時代。宗教勢力が幅を利かせていて、百姓達は「救われる道は御仏様にすがるしかねぇだ~」
とばかりに領地を寄進(ようはボウズの領民となって税金を払っている)
はっきりゆうて大名達にとって目の上のタンコブ。
その豊かになったボウズ達。それはそれで、宗教家としていいことをしているのかと思えば、
酒は飲むは、妻は何人も持つは、でかい城のような寺を立てるは(これが石山本願寺)
挙句の果てには僧達に武器を待たせて軍隊まで持つはで、
そんで、何かあれば御仏のためなどと言って一般の百姓まで戦に借り出して自爆テロをさせていた。
「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土へいける。と催眠かマインドコントロールをして。
これに、ハラを立てていたのは織田信長だけではありません。
他の大名達もそりゃ~アタマに来ていたでしょう!
でも、相手は宗教勢力。ヘタに弾圧でもしようものなら仏罰を食らう恐れがあるし、なにより民の心を掌握できない。
ので、仕方なくボウズ達を擁護せざるを得ない。
当時はこんな時代でした。
でも、時代の変革者 天下不武 を掲げる織田家によって徹底的に弾圧され、とうとう降伏してしまうのでした。
未だに宗教と政治を隔てる ”政教分離”をする事が出来ない国もあるなか、
日本は400年前のこの出来事以来、政教分離を成し遂げたのでした。
なんにつけても、宗教的なしきたりや戒律で、がんじがらめでは国が発展していけるわけがないですよね~
PS 徳川家康が大阪城を攻めた時も、この若江城が拠点になったようです。
その時代の変化の活動拠点になった若江城はこちら















大阪ブログポータル オオサカジン







